142番 どんな日々にも
私たちの人生にアップダウンは、当然のように存在します。アップの時には、有頂天になり、ダウンを経験すると神も仏もあるものかなどと言い出したくなります。
しかし、しかし、ですよ、神の守りと導きは「どんな日々にも届いているのです」とこの歌は訴えています。喜びの日に「主が私を生かしてくださった」と告白することは難しいことではありません。しかし、悩みの日にも「主が私を生かしてくださっています」と告白できたとき、私たちの信仰は前に大きく進みます。
主の助け、守り、そして寄り添いは、どんな日々にも休みなく継続して提供されているのです。
私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。
しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。
天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。
それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。
しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。
私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。(詩篇73:21-28 新改訳)
祝福がありますように。関根一夫