【明日ではなく、今日という日に】
箴言の言葉:
「27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。」
この箴言で思い出すのは、イエス様が語ったたとえ話です。
「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12章16節〜)
このたとえは、今朝の箴言の説明文のように読むことができます。私たちは、今日を丁寧に生きることに専念できれば良いのです。明日はまだやってきませんから、今日すべきことをしっかりやっておければ良いのです。明日のことばかり考えていると、今日という日の出来事や仕事に身が入らない可能性があります。明日の心配をせずに、今日は今日として生きること、そこに確実な日々の過ごし方があるのです。
いろいろ計画を練ったり、希望をしっかり掲げたり、夢を持つことは大事なことです。しかし、それも、「今を大事に生きることの継続」の結果到達できるものなのだろうと思います。以前こういう歌詞を書きました。
64 今日という日を
夜明けの光 訪れて 昨日は過ぎてゆきました
神様から託された今日という日を
歌いながら 祈りながら 歩み続けよう
思い煩い抱えつつ 明日の事を悩むより
神様から託された今日という日を
歌いながら 祈りながら歩み続けよう
祝福がありますように。
いてくれてありがとう。